東京発日帰りバスツアーを中心とした旅行体験記


by ブラウンライス

信玄館・恵林寺

日帰りバスツアー 秋だ山梨おいしいもの見つけ隊 2010年9月12日(日)
②信玄館(しんげんやかた)・恵林寺(えりんじ)

日帰りバスツアー2箇所目はランチ会場となる信玄館。恵林寺の目の前にあるので早めに食べ終わった場合は散策ができます。恵林寺メインのツアーもありますが本日は基本ランチのみです。

信玄館は大型バスが勢ぞろいしていても大丈夫、2F,3Fに大規模なレストランを用意しています。良くも悪くも流れ作業的な接客となります。ランチの写真は撮り忘れました、大きな期待は持たないほうが良いですが鍋料理も含まれるのでボリュームはあります。
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1Fがお土産屋です
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信玄館(しんげんやかた)
〒258-0201神奈川県足柄上郡山北町中川577-6 電話0465-78-3811 

恵林寺は広くて時間が足りませんでした、ゆっくり時間をかけたい寺院です
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(恵林寺(えりんじ)とは WIKIより)
恵林寺(えりんじ)は、山梨県甲州市塩山小屋敷(旧塩山市)にある寺院。山号は乾徳山(けんとくさん)。臨済宗妙心寺派に属する寺院である。庭園は国の名勝に指定されている(昭和19年(1944年)6月26日指定)。
鎌倉時代の元徳2年(1330年)に、甲斐国の守護職であった二階堂貞藤(道蘊)が笛吹川上流の所領牧荘を寄進し、夢窓疎石を招き開山。二階堂氏邸を禅院としたのが始まりとされる。もとは円覚寺派に属し、関東準十刹の寺格を有していた。甲斐における臨済宗の中心となり、絶海中津や龍湫周沢らが住持となる。応仁の乱で荒廃するが、甲斐武田氏の菩提寺に定められて復興し、京都から高僧が招かれる。永禄7年(1564年)には武田晴信(信玄)が寺領を寄進し、美濃崇福寺から快川紹喜を招く。天正4年(1576年)4月には、快川を大導師に、嫡男の勝頼を喪主として信玄の葬儀が行われた。
天正10年(1582年)4月3日、天目山の戦いで武田氏が滅亡した後に恵林寺に逃げ込んだ六角義弼の引渡しを寺側が拒否したため、織田信忠軍による焼き討ちにあった。この際、快川紹喜が燃え盛る三門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と偈を発して快川紹喜は焼死したといわれ、後代には快川の遺喝として廣く知られ、再建・改築された三門の両側にも、この偈が扁額として掲げられている。一方で、これは『甲乱記』では快川と問答した長禅寺僧高山と問答した際に高山が発した言葉で同時代の記録においては見られず、近世には臨済宗の編纂物において快川の遺喝として紹介されており、佐藤八郎は快川の遺喝でなく後世の脚色である可能性を指摘している。
信長横死後に甲斐を領した徳川家康により、天正の織田勢焼き討ちを逃れ、那須の雲巌寺に遁れ潜んでいた末宗瑞曷を招き再建された。また、江戸幕府の将軍徳川綱吉時代に側用人であり、晩年に甲府城の城主となった柳沢吉保の墓所にもなっている。また、検地帳簿として『恵林寺領検地帳』が残されている。

※2010年10月23日追加
 信玄館ランチ ワインしゃぶしゃぶとほとう鍋
 
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 信玄館駐車場にある信玄像、この前で写真撮影があります
 
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by banboobook | 2010-09-12 17:06 | 山梨スポット